去年の今頃の認知症父の介護最終章の続きです。
この頃は、もう私の思考回路も麻痺していた感じでした。飲んだコーヒーは飲み込めず鼻から流れてくるし、微熱はあるし、父のお漏らしで濡れた床で何度も豪快に滑り、肩が外れそうでガクガクしていたりして、心身共に自分の事がよくわからなくなっていました。
父の日々の事だけしか頭になく、自分の生活や自分を大切にすることが頭から抜けていた感じです。
悩みに悩んで119番に電話しても認知症患者は搬送先見つからず。
↑この時の事は忘れられません。「誰も呼ぶなよ!みっともないから。」という父を押し切り、悩みに悩んで救急車をお願いしました。日曜日でした。認知症の父を搬送できる病院が1軒もありませんでした。
そして、救急隊員の方達を見た途端、あんなに苦しがっていた父が、ワシは何ともないぞ。を繰り返しさっきまでのあの苦しみ様がうそのようになり、私はもう悔しくて泣いてしまいました。なんなのよ!なんなのよ!という怒りと絶望感です。
地獄を天国にしてくれたデイサービスの職員の神対応に感謝で一杯です。
↑今はこちらのデイサービスとはご縁が切れましたが、今でも感謝の気持ちで一杯です。
↑この日の会話ははっきり覚えています。父は褒め上手です。
納得するアドバイスで背中を押してもらえる有難さ。迷い無で進めます。
1日が父で始まり父で終わる認知症ひとり介護も最終段階に入りました。
↑久し振りにこの記事を読んで切なくなりました。
「止める私も力ずく、そして何を言っても話が通じない父。「落ちて頭割って死んでみる?落ちてみる?どうする?私は構わないけど?」と近所に筒抜けの大きな声の私。」なんで私こんな事いったんだろう・・・。
↑朝シャワーを浴びて、台所に行くと父がいました。テーブルに並べておいた朝ご飯に並んで父のまさかの物がありました。目がテンになりました。
でもそのまさかのその物体は、テッシュの上に置いてありました。もう何も解らないと思っていたのに、テッシュを敷いた事に父の心が残っていると思うと泣けてきた記憶があります。
認知症父の入所準備が着々と進む中、穏やかな日常がありました。
今日で認知症親の在宅ひとり介護が終わります。まだ実感はありません。
↑父と最後の夕飯に、私は胸が詰まってご飯がのどを通りませんでした。
気を緩めると涙がでそうだと自分の日記に書いてありました。
↑この日は心が苦しくて仕方なかったです。父への罪悪感が半端なく、それと同時にまた独りぼっちになったという気持ちが入り混じり寝込みました。
早いものであれから1年経ちました。感染を防ぐため逢えない日々が続いているので、今は父の事を思う日も少なくなりました。
「元気に過ごされていますよ。ありがとう、ありがとうと手を合わせて感謝の言葉が良く出ますよ。」と施設の方から聞くだけで父らしいなと安心しています。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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