実家にひとりで住んでいます。
家具は全部実家の物です。
今日は実家のコタツの準備をしてびっくりしてしまいました。
私、コタツの天板ごときでフウフウ言って何回も腕がつったんです。天板が重く感じて横にずらす事すら大変でした。
いつの間にこんなに力が衰えてしまったのか・・・。ショックを隠し切れません。
コタツの天板1つで自分の老いを実感した今日、
以前から便利だろうなと思っていても、これをやってしまったら、
何処までも自分を甘くしてしまうとあえてやっていなかった事、
「座っている周りに便利な物を置く」
という事を、自分に許可しました。笑
こんなに体力無くなって真っすぐ老いに向かっている私を、自分が優しくしてあげなくてどうするの?笑
もう、こんなに力がなくなっている今は、部屋をキレイに見せる事よりも、自分が便利に生活できる事の方が先です。
実家の隅に、役目を果たしていない忘れ去られたような棚があり、それがこたつ横のサイズにピッタリです。
コタツに入りながら動かずに好きなコーヒーが淹れられる。そしてそのままテレビが見られる。
嬉しいなぁ。
今までは、こんな事は80歳くらいになって、立ち上がりが不自由になった時じゃないとやっちゃダメだって思ってたんですよね。
何を基準にこんな事思ってたんだろう・・・。
なんて自分に厳しいの?^^;^^;
まだ60歳だけど、体力が衰えているんだもの。我慢しないで、マイルールなんか作らないで、自分に甘~く快適に生活に出来るように頭を切り替えて行こう。
さっき、コタツに座ったままコーヒーを淹れてみましたよ。^^
嬉しかったというか、安心したというか、便利過ぎました。笑
明日の朝は、お茶っ葉も用意しよう!
今私が座っているところに、以前は父が座っていました。
父は、立ち座りの動作が少し大変になった時も、この場所からお茶を沸かすのに、やっとこさ立ち上がり台所に行っていました。
私と一緒で、父もリビングに余計な物を持ってきてはいかん!という考えでしたから。
もしも私が、父がなんと言ったとしても、座っている横にこうやって準備してあげたら、父も楽だったでしょうに。なんて父の事を思い出しました。
それに、動けなくなってからは、お茶を飲むのに何度も私を呼んでいたので、私も楽出来たはずですね。
今更父の事を思っても仕方ないので、これからは自分軸でとにかく自分に甘く快適に暮らせる事を意識します。
コタツの天板が重く感じ、自分の老いを見せつけられた事で、古い考えを捨てる事ができました。大きな進歩です。^^
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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