いつも座っている目の前には小窓があります。
その小さな窓から、青い空を見たり月を見たりします。
今日も何気なく窓から見える空を見ていると、こんな事を思いました。
「こんな出来損ないと思っている自分でも、神様が世の中の何かの役に立てるようにと私を造られたんだよなぁ。」って。
「こんな私でも、神様が造ってくれた私なんだよね。」と。
なぜだか解らないけれど、ふとこんな風に自分事を思いました。
そして、更にその小窓から空港から離陸してこちらに向かう飛行機がみえた時に、
「給料の高い職業に就いて母を安心させる」と
息子が高校生の時にちらっと口走った言葉が浮かんできました。
そこから色々な事を思い出し、その中で子供達の、
長女:「お母さん、一緒に暮らさない?」
次女:「お姉ちゃんに先越されちゃった、私じゃ頼りない?」
息子:「なんだ、みんな同じ考えだったんだ。誰がいい?」
と、私を気にかけて老後は一緒に住もうと思ってくれているニュアンスの優しい3つの言葉を思い出しました。
子ありおひとり様。母親冥利に尽きるってこういう気持ちなんですね。
それなのに、生きる意味が解らないとか言っているおバカな自分を反省しながら、小さな窓から見える青空をみる私。
そして、こんな私でも今生きている意味は、子供達の為だけで充分。と思いながら、子供達1人1人用の日記に、今日のこの気持ちを書いている最中に、
長女用の日記を開けた時に目に留まった、
「お母さんが幸せにしている事が私の幸せよと言ってくれて、お母さんは泣きました。」という個所を見て、ポロポロと涙がでたのでした。(泣き虫)
ボーっと見ていた小窓から見えた青空から、忘れていた小さな幸せを思い出し、もっと子供達の為にも自己肯定感を上げなくちゃ。と思った午後でした。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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