今朝、実家に行くと、認知症の父が新聞を読んでいました。
私の顔を見るなり、
「今年の夏の甲子園は中止になったそうじゃよ。戦後初らしい」と教えてくれました。
そして、「頑張ってきた選手が可哀そうにのう。」と言いました。
それから、2人でスポーツ選手の事についての話になりました。
わが家の次女もずっとスポーツをやっています。
今まで大きな大会で何度も涙を流した経験をしており、
速さを求められる競技なので、
•0.01秒の差で負けた時の悔やんでも悔やみきれない涙や、
•ケガで大会に出られなかった時の悔し涙や、
•体力の限界から引退という事を意識しながらも、それでも頑張って大会で成績がでた時の、並みの努力では勝ち取れなかったメダルへの嬉し涙など
孫の人知れず流したたくさんの涙を知っている父なので、
この新聞に載っていた「夏の甲子園中止へ」という見出しが、
認知症になって、ほとんどの記憶が薄れている父に響いたのでしょう。
「可哀そうにのう」
「辛かのう」
という言葉を何度も言っていました。
私は私で、選手の親の立場を考えると胸が痛みます。
子供が限界を超えた努力の先に掴んだチャンスが、泡になる。
辛いですよね。
そんな親の立場の辛ささえもこの新聞の「夏の甲子園中止へ」という見出しで思い出し、孫の競技の昔話をする父を見ながら、
まだまだ父は大丈夫だと思った私でした。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。