わが家のおままごとキッチンみたいに小さい流し台でわらび餅を作りました。
材料は片栗粉と砂糖ときな粉だけ。流し台の上に置ける材料だけで作れるおやつ。
片栗粉たった50グラムで出来たわらび餅なのに、小さな流し台の上では大きく感じ存在感があります。
以前大きな間取りに住んでいた頃は、
•こんなに広いキッチンがあるのに、
•こんなに時間をかけても、
•こんな物しか作れなかった。
と自己嫌悪で押しつぶされそうでしたが、
今は、
•こんなにちっこいおままごとみたいなキッチンなのに、
•こんなに美味しいものが作れた私は超超スゴイ!
と、ニコニコ自画自賛です。
自分が歳を取って、こんなに小さな流し台で料理をすることになるなんて思っても見ませんでしたし、出来っこないと思っていましたが、
意外にも狭くて置き場がない流し台でも、イラっとすることも無いし、この小さなキッチンから出来上がる料理に感動すら覚えます。
そして、以前の私なら、このわらび餅を食べるにあたり、罪悪感を埋めるように、無理してきな粉の他に黒砂糖やハチミツやメイプルシロップも用意したと思います。
でも、今はきな粉だけで十分満足です。
小さな間取りとささやかな暮らしをしていく中で、小さな感動で充分満たされるという事を知ったからです。
こうやって考えてみると、私は意外と狭いほうが自分を磨かれるのかもしれません。笑
例えば、野暮ったい自分の性格も認める事ができるようになったし、無理に上を目指さずに、このままで十分だと思えるようになったし、この小さな間取りに住み始めて、見栄を張る必要が無くなり自然体でいられるので。。
離婚前のわが家は、収入の大部分を元夫が献金していました。
自分には、その日の食料があればいいという理由で。その気持ちは素晴らしいですが、家族に愛を感じられない献金ぶりでした。
子供にお金を使うと不機嫌になる、家の中の家電も一番安い物、食料は中国産の安い物。息子の物はほとんどフリマで調達。
大きなキッチンに立ち、残り僅かな生活費で作る節約料理に私はいつもイライラしていました。
家族よりも他人を大事にする、家族に対して愛が感じられない悲しさと、献金している教会の牧師との会話で耳に入る、うちよりもリッチな献立の複雑な苛立ちと、
元夫の私への無関心の悲しさでぐちゃぐちゃな精神状態で立つ広いキッチンからうまれる質素な料理を少しでも見栄えを良くしたい事ばかり考えていました。
こんな感情で作る料理が美味しいわけないですよね。息子が食べ物に関心が無かったのは、私がこんな風に料理をしていたからかもしれません。多分これですよね、原因は。
そんな感じでしたので、今の狭いちっちゃいキッチンでも十分幸せを感じるのだと思います。
最近は、小さな狭いおままごとみたいなキッチンに立ってよくこんな事をおもう私です。「小さなキッチン最高!」って。笑
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。