先日書いた亡き母が出てきた時の話なのですが、→亡き母が娘の寝顔をのぞき込んでい話。
私はその後、子供達が帰って私一人になってからずっと、認知症父のひとり介護の時の事を思い出していました。
なぜかと言うと、今回母の霊が見えた事で、誰の目にも触れられる事のなかった壮絶な自宅介護を母は全て見ていてくれてたのかも?思えてならなくなったからですね。
一言では言い表す事なんて絶対出来っこない程大変だった介護。
狭い箱のような部屋の中で誰にも見られることも無く繰り広げられる1対1の戦争のような介護。
そんな介護が終わり、頂点に達した時の介護の大変さを兄弟に話しをしたところで表面のうわずみしか伝わらないもどかしさと悔しさや、
何度流しただろう私の介護の涙の悔しい味。
そんな気持ちを胸の奥にしまってたのですが、
今回、亡くなって10年になる母が、娘の帰省中何度も気配を見せた事で、
私は思ったんですよね。
毎日毎日超大変な介護で介護の辛さよりも、「この介護が終わったら私の苦労は誰にも知られず闇の中に葬られてしまうんだ・・・。」という悲しさの方が辛かったですが、
でも、今回の亡き母の霊の事で、母がずっと最初から見ていてくれていたのかも知れない。母は私の一人介護を全部を知っているのかもしれない。と思ったらすごく嬉しくなったんです。
思い出して見ると、父が認知症が進み行動が手が付けられなくなっても、そんな時も、トンチは言うし、穏やかな顔をしていたのは、母が出てきてくれていたからじゃないのだろうかと・・・。
そんな風にあの当時の父を思い出すと、あの穏やかな表情はつじつまが合います。
とにかく、先日の亡き母の姿の件から先、
悲惨だった自宅介護の現実を母がきっと見ていてくれていたはずと思う嬉しさが、とても私を穏やかにします。
昨日もそんな事を考えながら庭に出ると、大きな蝶がいました。スマホを近づけても逃げません。
祖父の時も、きれいな大きな蝶々が仏壇の裏に入り込み全く逃げなかったと、祖母が言っていました。
そんな遠い昔の事を思い出しながら、この蝶々と母を重ねてしばらく見ていました。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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