今朝、父の部屋に行くと、ずっしり重い紙パンツがベッドの横に脱ぎ捨ててありました。
着替えようと脱いだのですね。
でも、脱いだらトイレに行きたくなったのでしょうか。ベッドの横はおしっこまみれでした。
今日は、いつもと違うルートもビショビショで、トイレと真逆の方角です。もうここでおしっこされたら後はカビるしかないでしょう。という場所です。
あっちもこっちもおしっこでぬれていて、いい加減嫌になり私は掃除を拒否しました。掃除をしませんでした。
本当に嫌だったんです。
それに今日は大事な用事があり、どうしても9時半に家を出るまでに復習をしていたかったんです。
9時半に家を出なきゃ用事に間に合わないのに、父がベッドから出て来ません。
8時半頃無理やり起こし、いつものように紙パンツを履かせようとすると、枕カバーをふんどしみたいに股にまいていました。
それをはぎ取り、紙パンツを履かせ、ズボン下を履かせ、ズボンを履かせて靴下を履かせました。
父の片足を私の太ももに置いて靴下を履かせ、はい、もう片方の足を出してね。というと今履いた方の足を出しました。
違うよ、こっちじゃなくて靴下を履いて無いほうの足だよ。と言ってもどっちの足か解らない様子でした。
ここまで認知症が進んだのかと胸が痛くなりましたね。
ご飯を食べる時も、寝てばかりで、箸は落とす、お茶はこぼす、味噌汁は床にこぼす、ご飯はお茶碗ごと落として割りました。
だらだらとゆっくり食べるので、私もずっとつきっきりで食事の時にそばにいる事は出来ません。
ちょっと目を離すと、惨事が起きてしまいます。
今日はどうしても大事な用があるのに、こんな日にあれこれ起きてしまい、台所に父を残したまま出かけてしまいました。
11時半に戻ると、私が出かけた時と同じままでイスに座り寝ていましたね。
服にこぼれた味噌汁の具が乾いていました。
それに目線がいっても、何も感じない様子の父。
最近急に認知症の症状が進んだ気がします。
あんなに大好きだったコタツの事も忘れてしまったようです。
今日は「コタツ??」と首をかしげていましたね。ええっ?ここまで?とこれにはかなり胸が痛かったです。
このまま家にいては父が不自由な生活ではないだろうか?早く施設に入れた方が今の父にとってはそのほうが幸せではないだろうか?と最近毎日のように思います。
それなのに、施設に入れる勇気もなく、ただただ父の進み具合をまのあたりにして胸が痛くなるのを繰り返すのですよね。
今日、たまたまネットを開いたら、こんな言葉が目に入ってきました。
「仕事で介護をすると喜びがあるけれど、親の介護では喜びは感じられない」
本当にそうだと思いました。
喜び?どこにあるのそんなもの。というのが本音ですね。
けれど、胸が痛くなる程に何も出来なくなった親を見捨てる事は出来ないから介護を頑張るんです。
もう少しだけ、もう少しだけと自分に言い聞かせて、今日も終わります。
ベッドに行く前にトイレに誘導して、そば枕の形を整えてお布団をかけて、お休みなさい、また明日ね。と言って電気を消し、ペット用シートを6枚トイレと廊下に敷き詰めて自分の部屋に戻りました。
4月12日追加
・・・□記事の訂正です□・・・
「けれど、胸が痛くなる程に何も出来なくなった親を見捨てる事は出来ないから介護を頑張るんです。」
と書いた部分は、昔の私の気持ちです。
本当は、
けれど、今は胸が痛くなる程に何も出来なくなった親を見捨てるような気持ちになるんじゃないかとそれが不安で介護を頑張ってしまうんです。」
と書きたかったんです。訂正します。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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はじめまして!みのりさんのブログ いつも応援しながら読ませて頂いてます。
私も認知症の父と同居していましたので みのりさんのお気持ち お察しいたします。私は子供の進学のタイミングで転居することにしました。孫のためならと 父は施設に入ることを納得してくれました。父は感情の起伏があり 突然怒り出して物を壊したりするので 父と離れてからもしばらくは 物が倒れたり何か大きな音がすると反射的に委縮する自分に気が付きました。(また父が怒り出したのかと思うのです。) 父との同居は24時間緊張の連続だったこと 離れてみて気が付きました。あのまま同居を続けていたら 私が先に壊れていたと思います。施設に入って父はとても穏やかになり 私も父に優しい言葉をかけられるようになりました。父に優しくなれる自分の変化が一番嬉しいことかもしれません。施設の相談員の方が「寝たきりになってから入所するよりも 元気で余力のある時に入所された方が楽しく生活することができるようです。」と仰っていました。私も 父を見ていてそう思います。施設に入ってもらうことは 決して親を見捨てることではないですよ!子どもに負担をかけたくないと思うのが親心です。自分の老後はその覚悟です。私はそう思って父の入所を決断しました。
ビオラさん、初めまして。
貴重なお話を聞かせて頂き本当にありがとうございます。
私、以前は本当は施設に入れる事は親を見捨てる事になるんじゃないかって思い悩んでしましたが、
今は違う考えになれました。ビオラさんの仰る通りです。施設に入ってもらう事は、決して親を剥捨てる事ではなく
むしろ幸せなのではないかしら。と思えるようになりました。
昨日の記事は間違いです。書いてすぐに投稿したので、自分の気持ちが変わったという文が抜けていました。
記事に訂正文を載せました。
施設の相談員の方の言葉が胸に刺さりますね。そして、その言葉通りのお父様の姿を見る事ができているのですね。
素晴らしいです。
私もビオラさんと同じで、子供達には私が認知症になった時は構わずに施設に入れてね。と言ってあります。
子供にはこんな苦労させたくないですものね。
父の施設入居までの間、家で精いっぱい尽くしてあげたいと思います。
とても参考になりましたし、他の介護者の方の経験談を聞く事ができてありがたいです。
私も近い未来に、施設で穏やかに過ごす父と他愛もない話をしている姿を想像してみました。
ありがとうございました。