こんにちは。
少しずつこだわりへの色んな変化が起きている、おひとり様みのりです。
離婚して4年。50代も後半、シニアの仲間になり日に日にシンプルが好きになってきました。
これだけは譲れないと思っていた感情や、大好きだった物へのこだわりが少しずつ薄らいできています。
いちいち、こだわりなんてどうでもよくなった自分がいます。
シンプルな行動や考えが今の私には心地よいのです。
最近では、一生こだわり続けたいと思っていた大好きな食器とコーヒーにも興味が無くなってきました。
器が昔から大好きで、自分を飾るアクセサリーを買うより食器を買うほうがワクワクするほど、器好きだったのに、ずっと気に入って使ってきた器が急に重く感じられ、それだけで使わなくなりました。興味もなくなりました。
重たいだけで気持ちが冷めるなんて・・・。自分でも驚きです。
きっと、シニアあるあるの握力が弱ってきたせいもあるのかなぁ。
コーヒーも、飲む直前に豆を挽いて、挽きたての香りを楽しみながらコーヒーを飲むのが一番の至福のひと時だったのに、最近では豆を挽くという行為がとても面倒になり、1回分のドリップを使うようになりました。
香り?そんなのどれも一緒。という感じです。
今まで頭の片隅にもなかったステックタイプのインスタントコーヒーも使ってみると便利で、最近は愛用しています。楽ちんだし美味しいです。
これも意外も意外で娘が「お母さんがインスタントコーヒー?」って驚いています。
それもそのはず。今まで「挽きたてを飲んでこそツウってものよ!」と自分のコーヒーへのこだわりを自慢していたくらいですから。
今は、挽いてある豆をコーヒーメーカーで淹れるだけという行為でさえも面倒になってきました。ペーパーをセットして、豆を入れて、水を入れて、スイッチをオン。これだけなのに面倒に感じるのです。
15年程使っているコーヒーメーカーが壊れたら、もう買わないかも。って思う程です。
人間、変われば変わるものですね。というか変わっていくのですね。
思考だけでなく、小さな行動までもが、シンプルを求めだす50代後半のシニア暮らし。
少し前までは考えもしない事でしたが、これは私にとってかなりうれしい誤算です。
あなたにもありますか?こんなうれしい誤算。
残りの人生を楽しく自由に生きていくのに必要な、シンプルな事だけを、自分が欲しがっているのかもしれませんね。
それに、こだわりは無いほうが、世界のどこででも生きていけますしね。
こだわりが強かった時、中国の田舎暮らしを始めたばかりの頃、不満が燃えたぎっていました。
コーヒーが超マズイとか、パンが美味しくないとか、バスがきたないとか、タクシーがボロ過ぎるとか、料理の色どりが悪いとか、鼻をほじった手で私にさわるなとか。よその国に来て、その国でお世話になっているのに、何かにつけて不満を心に貯め込んでいました。
こういう気持ちは、完璧を求める日本人として立派なこだわりだと勘違いして。
歳を重ねるってことは、自分の歳は増えるけど、ゴテゴテしたこだわりをそぎ落として、残りの人生を自分の色に染め直して自由に生きていいんだよと背中を押してくれている気がして嬉しくなります。
これからも、今の小さな暮らしの中で要らないこだわりをそぎ落としながら、どんどんシンプルに自分の色に染め直していくシニアの自分を観察したいと思います。
◆◆◆ 今日の一言 ◆◆◆
シニアの自分は好きになれるけど、力が少しずつ衰えてくるのはイヤですね。私は5キロのお米さえ重たく感じて買って帰る事がプチストレスになっています。
あなたはどうですか?
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
あるあるです^^
時間があるのに自分に時間を掛けるのが億劫です。あんなに自分だけの時間が欲しかったのに、、、重いものは苦手です。お水と牛乳でいっぱいいっぱいになるのでお買いものが面倒で大変で疲れるます(汗)今はいい時代になってネットスーパーでまとめて頼んでしまいます。握力が落ちたので重いお鍋も使わなくなりました。一人だとカレーもレトルトが断然お得で味のバラエティーもあるってやっと気付いたの(笑)その代わり子供たちが来る時はがぜん張り切ってお料理します。そしてお母さんの手料理がやっぱり美味しいって言ってもらいます♪
しーちゃん^^さん、こんにちは。
やはり、あるあるですよね^^
私もしーちゃん^^さんのあるあるに2票です。笑
私も自分に時間をかけるの億劫です。鏡の中の顔がたるんでるな・・・。で終わりです。汗
カレーもレトルト食べます。昨日もレストラン仕様というのを買いました。^^
「お母さんの手料理がやっぱり美味しいっ」ていいですね!うちは反対にレトルトみたいにして!と言われます。苦笑
今日も、コメントありがとうございました。