時々、自分は何の為に生まれてきたのだろうと悩みます。
59歳になってもまだ自分の存在に悩む情けない自分に悩みます。
愛する子供が3人もいるのに、自分の存在を否定してしまいます。
きっと親の愛情不足と特に母親からの口が裂けても言えない仕打ちが、
自分の存在を否定するのだと思います。
中学生の頃、私の家族の作文を読んだ国語の先生から「あんたの親はママハハか?」と聞かれた時、
とっさに「はい」と答えた事がありました。
そうか、ママハハなのか。と自分でもおかしい程に納得して、
それからは、良かったぁ。本当の母親じゃなくて。と事あるごとに本気で思っていました。
姉妹そっくりなのに、自分はここの本当の子供ではない事がせめてもの救いでした。
そんな風に中学時代を過ごしていました。
小学生の頃は、今考えるとすでに鬱だったと思います。
常に頭痛や睡眠障害が襲い、小学生なのに夜中の時計がボーンボーンと2回なるまで眠れませんでした。
当然朝起きれません。母は毎朝布団の中の私を足で蹴っていました。
頭はいつもたたかれて触るとうずいていたし、下着はずっと破れたのを履いていました。
心臓がいつもドキドキしていました。
父は気付いていなかったのでしょうか?
母の愛情が欲しくて嘘ばかり言う子供でした。
褒めてもらいたくてついた嘘。しかしいっそう嫌われる自分。
この子供時代の経験が、59歳になってもまだ自分を好きになる事ができずにいます。
未だに、自分の存在を悩む日々。
動物を育てたほうがましだった。と私に言った母。
なまぎたないと私に向かって吐き捨てた母。
自分の3人の子供に母と同じ事をしないように必死でした。
子育ては終わったけれど、過ぎた子育てに自信はなく、自分にも自信が持てない自分。
今日、認知症の父が私に、お母さんは立派に子育てをしたなぁ。と言った時、
私の中でずっと我慢していた感情が吹き出しました。
「どこが立派だった?どこが」と言ってしまいました。
そして、この私と母との秘密の事は死ぬまで誰にも言えない言えるはずがないと思っていましたが、
今日は日記に書き残さねばと思い、日記の後ろに書きました。
実の母に何をされてきて育ったのか。されて育った子供への影響はどんなものだったのか。
この事実を子供達に残して、親になった時に見て欲しい。
親の愛情がどれだけ子供には必要か。愛が無いとどんな大人になるか。
もうすぐ還暦を迎えるのに、全く自分に自信がなくまだいまだに自分の存在を悩む自分。
何の為に私はこの母のところへ生まれて来たのか。
答えが出ません。
父の母に対する美化がいつも私を苦しめます。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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