こんにちは。
気が付けばブログを始めて9年のみのりです。
私がブログを始めたのは48歳の頃。今から9年前のことです。その頃は自宅で整体やリンパをしていたので、集客のために地域のブログをやっていました。
やっと作った集客ブログは、そのうち自分の日常の事を主に書くようになっていき、もはや仕事のための集客ブログではなくなりました。
このブログで自分の気持ちを文章にする楽しみを見つけたものの、元は仕事のブログだったので、自分の本音はいっさい出さない綺麗ごとだけを書いたブログでした。
それでも、この本音を隠した偽りのブログでも、自分で撮った画像を載せたりするだけで、心が休まる思いがしていました。
それから、しばらくして中国へ行くことになりました。余命宣告を受けた母を残し渡った中国でも、母が余計な心配をしないように、元気で夫婦仲良く過ごしている偽りのブログを書き続けました。
中国に行ってまでも私を支配する元夫の手の中で、明るく幸せそうなフリの日常を、母の為に書いていました。
今、思い返せば、仕事のためのブログや、中国で母の為に書いたブログは偽りのブログだったとはいえ、自分の文章や写真を誰かが見てくれているという嬉しさが、崩れそうな心を保っていられたんだと思います。
中国から帰ってきて、2日後に元夫から「1度も愛してなかった」と告げられます。別れたいのに宗教上離婚はできない事が悲しいと告げられました。
同じ家に住んでいるのに、自分の夫は愛人探しに目を輝かせている。そんな地獄のような日々の中、誰にも相談できない心の苦しみで頭がおかしくなりそうな時、ブログの存在を思い出し、新しいブログを作りました。
子供の事、国際再婚の様子、日常の事。明るく書きました。これも本音が書けない偽りのブログでしたが、しばらく書き続きました。
しかし、元夫の容赦ない勝手な裏切りや夫婦なのに愛してもらえない自分の現実に、明るいブログが書けなくなりとうとう、ありのままの様子を書きました。
ありのままの出来事や自分の気持ちを素直に書けた喜びを今も思い出します。
毎日、祈るような気持ちで事実を書き留めたブログは、今思えば、現実ではだれにも相談できない私にとって、心が病んで手遅れになる一歩手前で支えになってくれていた大事なブログだったと思います。
日常では、元夫は息子の優しい父親でしたし、私の両親、兄妹、親戚は元夫の事を好きでしたし、(本当に人は外からでは解らないものです)友人も夫婦共有の人が多かったので、誰にも相談できるはずもなく、誰にも夫婦の事を気づかれないように明るく接していた日々。
あの時はブログを書きながらでも死を考えていたこともしょっちゅうあったので、もしも書いていなかったらと思うと・・・。ブログに感謝です。
子供が学校に行っている間、私は泣いてばかりいました。でも、子供が帰ってくれば、明るいお母さんを装って笑って子供と過ごす。元夫が帰ってきて冷たく無視されても、子供の前で明るく振る舞う。
心を吐き出すブログがどれほど私を救ってくれたでしょう。
でも、私の心にも限界がきます。心では泣き顔では笑う。そんなあまりのつらさに日常生活が出来なくなり、ブログが書けなくなります。
エスカレートする元夫の暴言や態度に疲れ果てて、再婚してから起こりだした原因不明の病気が更に悪化したからでした。一日中、奇声をあげたくなるのを必死で抑えていました。
しかし、私があの頃を耐え抜いたのは、自分の気持ちを誰かに届けられるブログをそれまで書いていたからだと今わかります。
もしもあなたが、今、辛い思いを誰にも言えず、一人で抱えているのであれば、ブログを書いてみてはいかがですか?
抱えている問題が深ければ深いほど、ブログがあなたを救ってくれると思います。
何も書けないのであれば、写真を投稿するだけでも気持ちが救われますよ。
私もそんな日がたくさんありました。文字が書けませんでした。
写真だけでも、自分の気持ちが落ち着きました。
誰にも言えない辛い事がある。こんなあなたにブログをおススメします。
私も、ブログのおかげであの頃を乗り越え、今幸せに暮らせています。
そして、今は極貧でも小さな間取りで小さな暮らしの事を、ありのままに楽しく書いて楽しんでいます。
ぜひ簡単に作れる無料ブログで始めてみてくださいね。私が救われたように、あなたを救ってくれると思います。
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シングル家庭。離婚を打ち明けた時の、娘の嬉し涙が目に焼き付いています。
50代おひとり様。私と一緒に10回も海を渡った離婚届けを断捨離しました。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。