2泊した次女が帰って行きました。見送った後に寂しくなり、残りのケーキで余韻に浸り一人おやつです。
逢えば私を一瞬で幸せにしてくれる子供との束の間の時間を思い出しながら、同時にずーっと苦しんでいた私と母のことを思い出していました。
・私という存在は親である母をなぜ幸せな気持ちにできなかったのだろう。
・どうして私は母に笑顔をあげられなかったんだろう、
・母に幸せを感じさせてあげられなかった私って何だったのだろう。・・・と。
その謎が解けたのです。
理由は簡単。
・母は私を嫌っていたから。
・いつも母の視線に私は映ってなかったから。
・私は母のストレスになる存在だったから。
愛されていなかった以上そんな私が母に幸せをあげることが出来るはずもなく・・・。^^;
もうすでに理解していてでも認めたくなかった理由を今回はっきり認められてすっきりしました。
解っていたよ。って感じですかね。^^;
そして、もしかしたら母は私の事が愛せない事を悩んでいたのかもしれないと考えたりする事ができました。← スゴイ気持ちの進歩!
子供を愛せない親が自分の親だったというだけの事だと、割り切る事ができたおやつの時間でした。
61歳の私、この歳でようやく決着がつきそうです。
◆亡くなった母が美化されていく事に不満が爆発しそうになります。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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たぶん…
愛は、お母様の心のどこかにあっただろうと思うんですよ。
ただ、親子でも相性というものが存在するし、自分自身が未熟だったりすると、心のどこかにあるはずの愛が表面に出てこないことがあります。
私自身、育てられ方にも育て方にも大きな問題があったと思いますが、全ては両親の未熟さ、そして私の未熟さだったと思います。
色々と取り返しがつきませんが…
minoriさんの場合は、自分の育てられ方が連鎖しなかったようで、お子さんたちは幸せですね(^ω^)
水菜さん、こんにちは。
いつも温かいコメントありがとうございます。この親子の問題はいい加減に終わりたいと思い、吹っ切れたと思いながらも吹っ切れずにいて厄介です。^^;
私は、子供が怪我をしたりしたときに優しい言葉をかける事が出来なくて、優しく寄り添えなくて悩んできました。親から手当をしてもらった事がなく、ケガをしてもののしられていた記憶しかないので出来ないのだと思うんですよね。そういう私が顔を出します。なかなか難しいですね。本当に水菜さんが仰るように、取り返しがつかない事が多すぎます。でも、前を向くしかないですものね。頑張ります。いつもありがとうございます。