時々、「ボケ日和 転ばぬ先の知恵」という本を書かれた認知症専門医の長谷川嘉哉先生のYouTubeを見ています。
今日の話は、最後に今の父と私にも当てはまる、私の心が軽くなる話でした。
それは、「安易にかわいそうという言葉を使わないで」という内容の話でした。
生命体としての活動が落ちてきている認知症の後期に入っている家族を見て、食が細くなって食べられなくなって痩せて可哀そう。ずっと寝てばかりで可哀そう。
でもそれはいつか誰でも死に近づくための道のりなのだから可哀そうと思わなくてもいいんだ。という個所をすごく頷きながら聞いていました。
なぜ、すごく頷きながらかと言うと、今の私がまさにそう思っているから。
私は実家で一人っきりでの介護の時、相談相手がいなかったので自分一人で何かを決断した時に父に深く「可哀そうな事させてごめんね」って思っていました。
でも、今は全く可哀そうと思わなくなりました。
父は静かに最後の命の灯が消えるのを待っているのが解るから。
人の最後はこうやって終わりに近づいているんだって父を見て理解したから。
今、認知症のパートナーやご家族を介護されている方は、無理に可哀そうな事をさせてしまったと自分を責めてしまう事が多いことでしょう。
私も昔はいつもそうでした。父にいつも可哀そうな事をさせちゃってごめんね。って思っていました。
しかし、今振り返ると、認知症が進んでるので、30秒もしないうちに本人は忘れるんですよね。可哀そうな事も30秒で終わりです。
後は笑わせたらいいんです。私達も30秒後にはよく一緒に笑っていました。(泣き笑いも多かったですが)
父は人生の後期に入り、静かに時を待っていて、身をもって私達に人の最後を教えてくれています。
可哀そうの代わりに「ありがとう。」ですよね。
「可哀そうと思わないで」という今日のお話に救われてとても納得した私でした。
今日も話を聞いて頂きありがとうございました。
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