柔らかく楽しく生きる。

50代おひとり様が、小さな暮らしの中でささやかながらも楽しく暮らす日常を綴っています。

母との思い出

つい観てしまった番組が自分と重なり落ちていきました。

投稿日:

超ネガティブな暗い話です。嫌な方はスルーして下さいね。

今日は、元気が出ない私です。

朝9時に起きて、花を植えて、家の前の道を掃いてテレビを見て沈みまくり疲れて横になり、ご飯食べてまた横になり夕方。

この1日の流れの中で、親からの性的虐待の番組を観て、気持ちがズドンと落ちてしまい、以前のように部屋のカーテンを閉めて過ごしました。

・虐待された後の心の傷の深さ。

・誰にも言えずに心に仕舞って忘れようとしても、襲って来るフラッシュバック。

・人が怖くなり、外に出られなくなる程外への恐怖。

自分が母親からずっと受けていた言葉の暴力と重なりどうにも苦しかったです。

私の顔の事、私の頭が小さい事、私が頭が悪い事、私の性格。

誰もいないところで、私の全てを容赦なく平気で踏み続けた母。

手は加えないのに、心をズタズタにしてしまう毒語で私を壊していった母。

例えば、私の頭が小さい事で言えばこんな風。
幼少期、近くに頭の小さい大人の人がいました。母はなぜかその人が嫌いでした。
いつも私の前でその人の事を馬鹿にしていましたね。(人の前では聖母まさのような表情でみていましたが。)

母は、「あの人をみてごらん。頭が小さくて脳みそも少ないから頭悪そうな顔しているでしょ。きっと知能が低いはずよ。」と私に言います。

決してあんたと一緒ねとは言わないのですが、小さい私にはわかります。

普段事あるごとに私に向かって「あんたは頭が小さいからね~。」と、
失敗をすると、「あんたは頭が小さいからね~。」と言っていたので、

続く言葉は「だからあんたもあの人と同じね。あーなますかん。(あー、生嫌い)」だと解ります。

幼稚園児の私は、まだ5歳でも解りました。私もあたまが小さいから脳みそが足りないんだ。
知能が低いから、だからお母さんは私の事が嫌いなんだ。と。

これはほんの1例ですが、すべて私の事を、こんな風にして否定してましたね。
2人きりの所で、嬉しそうな得意そうなすました顔をして。

そして、大きくなり中学生の頃、家族の作文で国語の先生から「あんたの母親はママハハか?」と聞かれるのです。^^;

こんな事を今日は思い出したのですよね。

思い出したくなくても、今日みたいに虐待というフレーズや虐待を体験した声を聞くと、カギをしていた心の箱が空いて、気持ちが落ちてしまいます。

今日のテレビの中の、親からの性的虐待の体験者が、誰にも言えなかったように、私も誰にも言えませんでしたね。

どうやって話して良いか解らなかったし、言ったとしても、誰も信じて貰えそうになかったし、
それに誰かに言ったら、母親の立場が悪くなるのが解っていたから言えませんでした。

小学生でもそんな事はわかりました。

そして、初めて勇気を出して2度目の夫に少し打ち明けた時、「お母さんから色々聞いているけど、君が悪いんじゃないの?」と言われたショック。

1つ思い出すと、芋ずる式であれもこれも思い出してまた生きる意味を失ってしまいそうなので、

温かいお風呂に入って忘れてみます。

母親が亡くなって7年、私はもう60歳。なのにまだ苦しさは残っているんですよね。心の傷は厄介ですね。

最近は、少しずつですがもう忘れようという気持ちになっていたのに、今日はダメでした。

最後まで読んで下さった方の中には気分を害されたかたもいるかも知れませんね。今日はここに書いて自分の心と向き合った事を記録する意味で書きました。強くなるために・・・。

  今日も話を聞いて頂きありがとうございました。

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  1. kazun より:

    ご主人やお母さんには残念ながら巡り合わせが悪かったけど、
    お子様たちがとってもお優しくて、羨ましいくらいです。

    ブログという、吐き出せる場があってよかったです。
    心に溜めずにどんどん外に出して消化できれば、
    少しずつ、軽くなっていく。。。はず。

    無理せずに、
    時には感情のままでもいいのではないでしょうか。

    なんて偉そうに・・・^^;

    • minori より:

      kazunさん、おはようございます。
      本当に、私にブログという吐き出せる場所がある事、ありがたいです。
      ≫心に溜めずにどんどん外に出して消化できれば、
      少しずつ、軽くなっていく。。。はず。≪
      そして、いつの日か忘れる事ができたら・・・。
      kazunさん、いつもありがとうございます。
      無理はせず、今日も過ごしてみます。少しお腹が痛いですが。^^;

  2. 水菜 より:

    私も、二種類の虐待を受けながら大人なりました。
    それと同時に、成熟した大人としての人格が育つような家庭環境もなかったため、いつまでたっても未熟なままです。
    育つべき時期に育たないと、その後の人生が難しくなってしまいますね。
    子ども時代~10代でついてしまった差というのは、埋められないような気がしています。
    最近は開き直っていますが、恵まれた家庭環境で育った人には心のどこかで反発を感じてしまい、「この人、ムリだわ…」と思ってしまう。
    これも、私が未熟な人間だからでしょうね。

    • minori より:

      水菜さん、初めまして。コメントありがとうございます。
      二種類の虐待。どんなに辛かったことでしょうか・・・。
      未熟なまま。解ります。とてもよく解ります。
      私、施設で育った子供と親にいつもびくびくして家で暮らしている自分と、どちらが幸せだろうかと常に考えていました。
      母親の優しさが欲しかった、でも叶わなかったひび割れた子供時代の差はどうやっても埋まりませんね。
      ≫最近は開き直っていますが、恵まれた家庭環境で育った人には心のどこかで反発を感じてしまい、「この人、ムリだわ…」と思ってしまう。≪
      私も全く同じです。今は随分訓練して昔ほどではなくなりましたが、今も心の奥では葛藤が起こります。
      水菜さん、ありがとうございました。今日も頑張ります!

      私は一応子育てが終わりましたが、

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