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50代おひとり様が、小さな暮らしの中でささやかながらも楽しく暮らす日常を綴っています。

父の認知症 認知症の父と私

要介護1認知症親のひとり介護5ヶ月目の記録

投稿日:

 

 

認知症親のひとり介護5ヶ月めが過ぎました。

11月の1か月間も色々な事が起こりました。
この1か月は今までと違って、認知症の進み具合が早くなった気がします。

介護する側の私としては、
毎日襲ってくる認知症の新たな出来事に悶々としていましたが、

11月は認知症親の介護者の方と同じ気持ちを共有できた事が
介護をするうえでとても励みになり嬉しい出来事でした。

なので、ここで父の様子を見たあなたに少しでも「うちと同じだ!」と
心が軽くなり安心して頂けたらと思い、父の1か月の様子を書きます。

11月父の行動

・リンゴを忘れる。教えると思い出す。刻んで捨てる。
・ひげそりを探しに外へ出る。畑を見て探してる。
・ガスの火に直接急須を置いてお茶を沸かそうとする。かなり驚いた。

・作り置きや作ったばかりの味噌汁を鍋ごと捨てる。
・好物の芋のねりくり。食べ物と判断できなくなる。
・出来立てのカボチャの煮つけを鍋ごと捨てる。

・財布が無いことに気付く。まず冷蔵庫の中を探している。
・新しい事は全く理解できない。

・アメリカの大統領がトランプからバイデンになったよと何度教えても
「ダイベン?(大便)変な名前じゃ。」っていうので大笑いした。

・お風呂の湯船から立ち上がれなくなり溺れて大変だった。
人は呼ぶな!救急車も呼ぶな!近所の笑いものになると言った。
湯船からリビングまで運ぶのに私一人で2時間かかった。
ソファーに座らせてお茶を沸かしている間に溺れた事をすっかり忘れていた。
「湯船で立てなくなった?この俺が?そんなはずはない」と言った。
しばらくして、妄想が始まった。
「うちの風呂に勝手に入っていたあの男は誰か」としつこく聞く。泣きたくなった。

・夜中1時間おきに起きる。

11月18日
・買い物したばかりの稲荷8個と大福もち5個を振り向いたら食べ尽くしていた。
・世間話をすると妄想がひどくなり世間話をしたことを後悔する。

11月21日
・電動ひげそりを分解して捨て、ふただけを大事に仕舞う。
・午後実家に戻ると味噌汁が入った鍋を持った父が玄関先にいた。
毒が入ってるから捨てるといった。これで何回目か・・・。
それは、私が午後出かける時それも1時間前に作り置きした味噌汁。
鍋はまだ暖かい。こうやって捨てるのかと気づく。

11月23日
・夕方来ると、里芋の煮つけがジッパーの袋にバナナの皮と一緒に入ってゴミ箱に捨てられていた。
さすがに頭に来て、それをチンして夕飯に食べた。煮つけがバナナの味がした。父は宮廷料理よりも美味しいと言って食べていた。

・夕飯が終わり、こたつでくつろいでいると父が玄関を出た音がした。
慌てて私も外に出ると、味噌汁の鍋を持った父がいた。私がいても味噌汁を捨てるようになる。

11月24日
・朝起きてみると、冷蔵庫に入れておいた昨日の残りのみそ汁が捨てられていた。もう2度と作り置きしないと誓った。
・心を鬼にして作り置きせずに一旦自宅に戻った。
毎日作ったものを捨てられる私の精神状態がおかしい。
・ホッチキスで爪を切っていた。

11月25日
・隠しておいた小さなアンパンを8個も食べていた。そのすぐあとご飯もぺろり完食した。
満腹中枢がおかしくなっているんだと最近の食欲で思った。
・冷蔵庫に捨てる残り物が無いため、イライラしている様子。何度も夜中冷蔵庫を開ける。

11月26日
・柿を朝ドラを見ている15分の間に近くのやぶに捨てられる。
・今、おやすみと言ってドアを閉めたのに、すぐに隣の部屋から私の携帯に電話をしてきた。「お父さんだよ、元気かい?」と。
・何度も夜中に外にでる。
・夜中に徘徊するようなぼけ老人になったら人生は終わりだと人を馬鹿にした汚い言葉で何度も言うので、毎日お父さんも夜中徘徊しているよとはっきり言ってやった。
でも、すぐに忘れて同じ事をくりかえし言う。私のイライラは頂点。
・私がシャワー中、父が私の脱いだズボンを見つけてはいて、
小さいと言って切り刻もうとしていた。

11月27日
・元旦と勘違いして、朝の4時から年賀状を待っていた。
・庭のキンカンとミカンをちぎって父に見せた。数分後捨てられた。

11月28日
・ホッチキスで爪を切っていたからか、爪が割れていた。
・東京支店に転勤になったから忙しいぞと起きてきた。
・夜中冷蔵庫を開けに何度も起きてくる。捨てる物がなくてイライラしているみたいだ。

11月29日
・父の為に毎日お泊りしているのに、父は全く覚えていない。私は夜中大変な思いをしているのは何のため?かなりショックを受ける。
・父がお留守番の時のおやつを用意する。全部ゴミ箱に捨ててある。
・食べ物は食べ尽くすか捨てるかの2択。私の父への想いはいつも全て消される。

11月30日
・隣の部屋にいる父から電話があった。今さっきおやすみ言ったのに・・・。
・ついに、認知症あるあるの「ご飯はたべていない」がはじまった。
夜ご飯を作っている時、今日は1度もご飯を食べていないから作って頂きありがとうございます。と父が私に言った。

・ご飯の時、箸が進まないなぁ。と思っていたらなんと!知らない間にリンゴを2個ざく切りにして食べていた。ゴミ箱から出てきた。
もう、隠してもすぐ見つかる、買い置きも出来なくなった。

・ごはん中につい宝くじの話をしてしまった。案の定妄想が始まり大変な事になる。
「宝くじの高額当選者がうちにかくまってくれといって泊っている。」と言い出しそんな人いないといっても聞く耳持たず。
余りにひどい内容なので、老人ホームの話をしたら、ピタッと妄想が止まった。老人ホームの話は嫌らしい。^^;

・夜中にゴソゴソ。私も起きて一緒にお茶を飲む。何かおやつが無いと寂しいというので、今川焼をチンしてあげる。食べ終わりました。お茶を飲みました。私を見ました。
何かおやつが欲しいと言いました。たった今、今川焼を食べ終わったのを覚えていないの?

11月の父はこんな風でした。

 

■ここ1か月の様子■

・食事の時、こぼす事が多くなり、箸を握る力も弱くなりました。
具材を小さくしないと、箸で切れないようになりました。

・カレーと味噌汁の時、カレーをお箸で食べてみそ汁をスプーンで飲みました。カレーはスプーンで食べると食べやすいよと教えてもだめでした。

・妄想がますます激しくなり、会話もほとんど成立しなくなりました。

・記憶も数分から数秒に短くなりました。

・時計を見ても時々時間が解らなくなりました。

・朝と夜の区別がつかなかったり、自分の居る場所も解らない事が増えました。

自分で爪が切れなくなりました。爪切りの存在も解らなくなりました。

・昼間起きている時間が少なくなりました。1日中コタツで寝ている。

・とうとうお風呂に入れなくなりました。

・食べ物を捨てる事に執着してとにかく何でも捨てるようになってしまいました。特に味噌汁やおかずは鍋ごと外に捨てに行きます。

・果物野菜の名前を忘れる。みかんは食べ物の認識がなくなりました。

・ドアを閉めた瞬間に私がいる事を忘れます。

・夜私が泊まっている事を覚えていない。

・夜中起きる度に私をドロボーと間違える。^^;平均毎晩5回程。

父は認知症以外病気はないので、認知症さえなければと見ていて可哀そうになります。

そして、父だけではなく私もこの1ヶ月で変わりました。

父に嫌味を言うようになりました。こちらに書いてあります。
くっそーと思った気持ちを(私の心の声は汚いのですよね^^;)飲み込めなくなりました。
きっと毎日毎日作ったおかずを捨てられる事によるストレスだろうと思います。

最近は、味噌汁もおかずも一回で食べきる分量しか作らないようにした為父から捨てられることは殆どなくなったので、

少しはストレスも減ったように思いますが、嫌味は1度覚えた蜜の味?減りません。^^;

父はもう、一人では生活できないレベルかなと感じます。

しかし、本人はまだ何でも一人で出来ると思い込み、ヘルパーの利用もデイサービスもショートステイも自宅でのリハビリも全て強く拒否します。オレをぼけ老人扱いするなと豹変します。

そういうこともあり、最近ケアマネージャーさんに施設の相談をしました。
父がヘルパーさんやデイサービスを受け入れてくれれば話は別ですが、頑なの拒否は変わらないと思うので仕方ありません。私たった一人での認知症介護には限界があります。

 

こんな感じです。

 

自宅でひとり介護をしているあなたはどんな介護ですか?

よかったらコメントでもお問い合わせからでも聞かせてください。

アドバイスもよろしくお願いします。

 

今日も話を聞いて頂きありがとうございました。

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  1. ぷぷ より:

    貴方はもう充分やっていますよ!もう一人でお父様を見るのは無理だと思います。施設の方はプロですので任せた方が良いと思います。ただ良い介護者・施設に巡り合えるかどうかにもよりますけれど。それは冷たいようですがお父様ご本人の運・不運のような気がします。

    私の母もとても認知がひどくて同じように認知症以外には大きな病気がなくて・・もう本当に大変でした。(詳しく書き始めたら終わりそうにないくらいです) 私の手には負えなくて デイサービスから始まって最後に亡くなる施設まで全部で4箇所の施設にお世話になりました。皆さんとても良くして下さいましたが母はいつも脱出ばかりするので良く”次を探して下さい。うちではこれ以上は難しいです。”と何度も言われてしまいました。

    最後の施設で”認知症患者を手の上でコロコロ転がすようなスーパー素晴らしい介護者(施設長さん)に会うことが出来て母はそこで亡くなりました。そこで母はやっと落ち着く事ができてニコニコと笑顔の戻った母を遠くから見る事が出来ました。
    もう少し早くその施設に行っていたら私も安心できたのに とも思いましたが 最後は心臓発作でしたが 悲しいよりもホッとしたのを覚えています。

    本当に辛い辛い介護経験でしたので(ずーっと付きっきりで見たわけではなくても!) 母の急死の際も”おばあちゃんが可哀想に思って連れに来てくれたんだ”と思いました。全然元気だった母が亡くなる前日に初めて紙パンツの中に粗相をしたのでした!その事はボケていながらも本人としてもショックだったのかなー とか色々と思いました。もう充分な人生だったかなと。

    預かってもらえる施設を早めに探さないと お父様の場合はうちの母と一緒で難しいと思います。
    とにかく沢山の施設に申し込みをする事をお勧めします。実際に空きが出てから決心すれば良いのですし 決められなかったら今回はまだ大丈夫ですと言って見送る事も可能だそうです。
    何より貴女の休息を取る必要が有ります。心が折れてしまいますものね〜。

    私のこんな経験が少しでもお役に立てば・・と滅多にしないコメントをさせて頂きましたm(_ _)m

    • minori より:

      ぷぷ様
      初めまして。
      貴重な体験のお話と体験されたからこそのアドバイス本当にありがとうございます。
      父を預かってもらう施設、私もケアマネージャーさんにお願いしました。
      施設の空きが半年~1年かかると聞いた時、来年の夏を父と2人で実家で過ごす自信がない・・・。

      きっとうちの父も施設で脱出すると予想できます。
      その時に断られる時の為にもたくさんの施設を見学して探さなきゃという事もあるんですね。
      ぷぷさんとの出会いに感謝です。
      また、壁にぶち当たった時こちらのアドバイスを読ませていただきます。
      本当に本当に本当にありがとうございました。

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